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琉球の音楽を考える―歴史と理論と歌と三線
¥2,970
琉球の音楽を考える―歴史と理論と歌と三線 金城 厚(東京音楽大学教授) 著 A5判、並製、344頁 榕樹書林 【出版社より】 琉球音楽の発生からその様々な展開と発展、その特質、社会との関わりと今日の姿までを音楽理論をベースに読み聴きとった琉球音楽の総合的入門の書。 著者は本書を通してアジアからの視座のもとでの琉球音楽の独自性とその姿を明らかにし、琉球音楽の全体像の再構築をめざした。 取り上げられているテーマはオモロから始まり、中国音楽との関係、三線の伝来、冊封儀礼との関係、江戸立ち、琉歌との関係、民俗音楽から古典音楽の様々な展開と幅広い。 本書は琉球音楽をこれから学ぼうとする若い人へのテキストとして編まれたが、広く現場で琉球音楽に関わる人の理論構築のテキストとしても活用できる様になっている。矢野輝雄氏の『沖組芸能史話』を乗り越える最高の琉球音楽テキストである。 ーーーーーーーーーー
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琉球弧叢書37 首里城の舞台と踊衣装
¥3,960
琉球弧叢書37 首里城の舞台と踊衣装 茂木仁史・古波蔵ひろみ 著 国立劇場おきなわ 監修 A5判、上製、296頁 榕樹書林 ※令和五年度 本田安次賞 受賞 【出版社より】 本書は「御城舞台の研究」と「踊衣裳と結髪の研究」という二つの論文を収録している。いずれも、琉球国時代の組踊や琉球舞踊の姿を明らかにしようとする試みである。 「御城舞台」とは、琉球国王一世一代の「冊封」に際して首里城の御庭に作られた特設舞台のことである。一七一九年に初めて記録上に現われ、最後の琉球王・尚泰の冊封が行われた一八六六年まで、わずか五回しか姿を見せなかった幻の舞台である。その一五〇年ほどの間にも、芸能の変化に合わせて御城舞台も姿を変えるが、舞台と楽屋を橋掛りでつなぐという能舞台にも似た特殊な形は堅守された。この基本構造は琉球国の芸能の本質と通じ、変化した部分は琉球芸能の現在につながっている。 琉球芸能の「踊衣裳」といえば紅型衣裳に代表されるが、琉球国時代には異なる伝承があった。若衆の凛とした佇まいと色気を際立たせる「板締縮緬若衆衣裳」と、大人の女性の優美な気品を示す「琉縫薄衣裳」である。しかし、当時の衣裳はほとんど伝世されず、技術も廃れたことから幻の衣裳となっていた。本書ではこれまでの研究も踏まえつつ、琉球国の踊衣裳を具体的に示すよう目指したものである。また、結髪や髪飾りなどは近現代に変化したものもあるため、衣裳と一体になって装いを構成するものとして研究対象とした。 琉球国時代の芸能の実態については、明らかにされていないことも多い。今後の研究や公演に本書が寄与することを願うものである。(茂木仁史) ーーーーーーーーーー
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琉球弧叢書36 組踊の歴史と研究―組踊本の校合からみえるもの
¥6,380
琉球弧叢書36 組踊の歴史と研究―組踊本の校合からみえるもの 鈴木 耕太 著(沖縄県立芸術大学准教授) A5判、上製、422頁 榕樹書林 【出版社より】 本書は組踊研究の若手第一人者として活躍する鈴木耕太氏による組踊研究の新しい枠組みと視座をもとにした注目すべき論稿から成り立っている。組踊は中国皇帝の使者冊封使を迎え、歓待する為に、玉城朝薫によって日本の能や歌舞浄瑠璃、更には中国演劇などからも着想を取り入れて作られ、1719年、冊封使徐葆光(じょほうこう)を迎えて初演されたのを契機とし、国家儀礼の一環として発展してきた。琉球処分によって組踊を担ってきた上級士族が地方に分散することによって全琉球文化圏へと拡散し、庶民の芸能となり多くの人々に親しまれている。本書ではその歴史を詳細に調べ上げると共に、上演台本の校合によって組踊の伝播と演出の変化等を明らかにする。組踊研究が日本の芸能史研究あるいは中国芸能の琉球への導入等を踏まえ、その特質を捉え直し、これからの研究の礎石となるであろう。 ーーーーーーーーーー
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琉球浄瑠璃 久志の若按司
¥1,650
琉球浄瑠璃 久志の若按司 松山 傳十郎 著 茂木 仁史 解題 B6判、並製、132頁 榕樹書林 【出版社より】 琉球王国は一八七九年(明治一二年)、明治政府による廃藩置県によって滅亡させられた。いわゆる「琉球処分」であった。明治政府の軍事力をバックに沖縄には多くの寄留商人や得体の知れない文士らが来琉し、琉球の日本化を推し進めた。しかしその中で琉球の歴史や文化を尊重し、これを紹介したり研究したりする人もいないではなかった。 松山傳十郎もその一人といえよう。松山のことはよくわかっていない。沖縄で新聞記者をしたり雑誌に記事を書いていたらしいが、彼の名を琉球・沖縄史にとどめているのは一冊の本の刊行である。その一冊こそ今回復刻出版することとなった 琉球浄瑠璃 内題・久志の若按司(明治二二年、いろは家) である。B6判九二頁の小さな本である。この本は琉球に「組踊」と呼ばれる完成度の高い古典芸能があることを全国に知らしめることとなった。松山傳十郎が何故に『琉球浄瑠璃』というタイトルとしたかは定かではない。浄瑠璃に似ているとでも思ったのであろうか。 組踊は元々は一七一九年に琉球国王尚敬の冊封の為に来琉した冊封使一行(正使海宝・副使徐葆光)を歓待する為に首里城にて初めて演じられたもので、それゆえ組踊は首里の王族を中心とした上級士族の芸能として伝えられていたもので、その後徐々に地方に伝播し、琉球王国の崩壊で一気に花開き、一般市民の中に拡がっていったもので、従ってその台本も全て写本としてしか伝わっていなかった。 松山傳十郎はその中でも人気のあった「久志の若按司」を活字化し、『琉球浄瑠璃』として刊行したのである。 復刻にあたっては原本をそのまま影印で復元すると共に、今の人には読みにくいので文字の読解の参考を「しおり」として添付すると共に、国立劇場おきなわの調査養成課課長茂木仁史氏の詳細な解説を附した。 ーーーーーーーーーー